昭和四十七年三月九日 朝の御理解
X御理解第四十二節 「これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる」
これは信心をさして頂いて、決して善いことばっかりではないということ教えておられます。信心しておるから、言うならお天気ばかりはないということ。どうしてこういうことがというようなことがやっぱりあるのだと。そういう時には、そこでいよいよそういうところの信心を大事にして、一段と信心に工夫を凝らせてもらい、また新たな信心に励んでいくと、そこからおかげを受けられるというわけなのです。
ここで皆さん御理解頂いておられますが、けれども朝こうしてお参りになる方達は、そこのところがよう体得が出来ておられると私は思います。
ですから、私は今日はね、これ程信心するのにというのでなくてね、これ程の信心が頂けるということ、これ程しの信心がいつの間に、これ程身に付いてきたであろうか、本当に思えば思うほど、有難うして有難うしてということになるのじゃないでしょうか、ここにはおかげの落としようがない、俺の信心はこれ程出来るんだということでなしに、もう本当に自分の心の中に思うてみることですからね、信心は。
本当に、これ程の信心がいつの間にか、自分の血に肉になっておかげを頂いておることであろうかと思うたら、それが有難うして有難うして、そこからまた一心の信心が、もう自ずと出来てくるということ、信心というものはそういうものなのです。
これしこ稽古したけんで、もう私は先生様だと、俺も大先生だということ、もうそれは大先生になるということ、いけないということ、本当にこれしきの、これ程しのことをわからせて頂くということ、これ程しのことが身についてきておるということ、というところまで私は信心を進めて行かにゃいけんと。
これ程信心するのにというものが、これから先でも顔をのぞくようなことではです、未だ自分の信心は、いよいよ、いわゆる昨日の御理解じゃないですけれど、おかげを有難い有難いと言うたって、信心を有難いと言うておることではないということです。
ここには信心の稽古に来るところじゃと。その信心の稽古が出来ることが有難いところ
が、お願いをする、御取次を頂く、おかげを頂くと、そのおかげが神様じゃ、おかげが間違いなかばいと喜んでおったのが、それは信心を喜んでおるのでなくて、おかげを喜びよるのです。だからそういう信心がね、一生続いたところで、私は駄目だと思うね。
お参りさせて頂けば頂くほど、修行させて頂けば頂くほど、いわゆる高度な信心に進んでいく、高度な、今まで知らんかった、言うならば不思議な世界に入っていけれる。心の中に感ずるもの、本当これ程しの信心がいつの間に血になり肉になりしておったであろうか、信心とは有難いものだなあ、有難いものだなあと自分で感じさせてもらえる。
昨日から普通に御用をさせてもらいよります。午後の奉仕をさせて頂いておる時、毎日参って参ります、浮羽郡の「清力」というレストランをしておるところの女将さんです。これは、私が揚げ酒屋をしよります時分のお得意さんの娘さんであると同時に、その方のお父さんが私を北京に世話をして下さった方なのです。大体この西郷というところの千代田さんところの村ですね、ここの娘さんです。小さいときに知っておる。
それがたまたま男子さんの事件のことから、大坪さんが合楽で教会を開いてあるげなけん、まあお尋ねになって見てみるというのがきっかけで、参って来るようになりましてもうどの位、もう二ヵ月にもなりましょうか、毎日お参りをさせて頂く。必ず御理解を頂く。ところが、昨日御理解が入ってなかったらしいですね。それで楽しんでお参りしてくるのに、御理解が頂けないものですから、ここにまた来て、いろいろとお話をするのですよ。
「先日、大体いろいろ十三日会の日の会がありよる時、あの時は主人と一緒に来ましたから寄せて頂きましたが、えらい権威のある会のようでありましたので、とても私は寄り付かれんような感じでしたから、すぐ帰らせて頂いたですけども、大体月次祭などというものがお祭りがあっとる、あれは大体私どんでもお参りしてよかじゃろか」と言うて。
「よかどころじゃない、ここで私は月次祭じゃから参っていなさいということは誰にも言はん。只御月次祭は一ヵ月に四回いうなら十日に一遍なら十日に一遍、信心の稽古をさせて頂いとるものが、大概が、今日は月次祭なら月次祭までのおかげを受けておる信心の御礼を申し上げるお祭でありますが、中々優雅なお祭りですよ。典楽人だけでも十人から居られますから、いわゆる、琴、篁、篳篥、笛、太鼓というように、非常に雰因気の中に、あるだけで有難くなるような、それがお道の信心のお祭になる」
今度は自分も御参りさせてもらう。先日もお参りさせて、丁度この前の月次祭の時に帰らせて頂いて、丁度バスの停留所に待っておられます時に、吉井からお参りになるという、七十幾つなるというお婆さんという方にお会いしましてから、一生懸命信心をされる。 「私は二十何年間、合楽に椛目時代から御参りさせて頂いておる。今日は月次祭で、お供えを持って、実はお参りさせて頂きました。そして今夜もお参りさせて頂きます。そうすると、日に三回もお参りになると。しかも三回も吉井から。それはそれは有難うして有難うして、そしていつの間にかこういうおかげを頂いたじゃろうかと思うようなおかげが、沢山子供達がおりますが、その一人一人の上に、それは漸次におかげの展開があろうと
同時に、私の心にどうしてこのように、椛目におかげを頂いた当時にと、現在の自分と思うてみて、このようなおかげを受けている」と言う。
その話を、バスの来る間聞かせて頂いた。そして帰り着かせて頂くまで、信心の話を聞かせて頂いて、「信心とはなんて尊いものじゃろうか。どうして、なら私と大坪の間には、大坪家と壇足家とは昔からそういう関係にあったのに、どうしてこんな有難い神様をいつまでも知らせてもらえんじゃったろうかと、今後悔しとります」とこう言う。
「いや今からでも遅うなか、今度あんたが一生懸命そうしてお参りさせて頂いて、有難うなって頂いたら、兄弟が沢山おります。ですから、兄弟達に、またはあんたの周辺の人達に、その有難いというのがね、伝わって行くことになったら、つる子さんと言いますから、つる子さん、もういよいよ有難いことになっていきますよね」と言うてお話をしたことでした。
熊谷さんの話の中に、「どうしていつの間に、こういう風に私の心の状態がおかげを頂いて来たんであろうか」とこう言うのである。それは信心ちゃ本当に有難いことじゃあるばい。
「今日はね、あの福岡から古屋さんという方が、毎朝朝の御祈念に福岡から参ってくる。いや福岡からは古屋さんだけじゃない、何人も参ってくるけどね」と言うてまあお話をした。長い間主人が丁度三ヵ月間から病院に入院された。大変な病気だったが、先日から亡くなられた。丁度告別式がありよる時にお参りした。「ああ、あのお方ですか、その方がまた参って来よんなさるとですか」と言うわけです。
「また、こうやって毎日お参りがあってるよ」と、「もういよいよ信心ちゃ有難い」と。それでね、今朝からこんな届けがあった。今朝から、今朝から神様からこう言うお知らせを頂いた。『大きな綺麗な松の木がある、枝振りのよい。それにね、雪がいっぱい積もっているところ』を頂いた。
「先生どういうことでしょうか」とお届けがあったが、「そうなあ、松ということは信心じゃろうけれども。いつかこんな御理解を頂いたことあった。[雪 霜に 色さえ変えぬ 庭の松かな]というような御理解を頂いたことがある」と。「どんなに、それこそ激しい霜の朝であろうが、どんなに雪が積もって、それこそ枝も折れんばかりに雪が積もっておっても、色さえ変えるどころではない、その松に雪の降っておる風情というものは、もうそれは見ておって頭が下がるような、尊い美しい姿である。それで私古屋さんにね言ったのですよ」と。「古屋さん今のあなたの信心の姿ですよ」と。どうでも今度は一度助けて頂きたいと願わん者があろうかと、一番大事な柱になの、そのとられる主人、未だ一人息子さんは大学ようやく一年生、今からお金も沢山いる。
おかげ頂いて、昨日いろいろと、そんな風で「勉強も出来ていませんでしたのに、おかげで進級できるという通知を受けました」というお礼があったが、これからが大変なんだ。そういう中にあってです、あんたも拝んだであろう、ここであったあの有難い告別式がありましたが、そこから自分の半身であるところの主人を亡くすことですから、こんな悲
しいことはないだろう、それこそ悲しい、目の前が真っ暗になるようなことであろうけれども、常日頃の信心の光がものをいう。真っ暗ならんで済んだ、悲しいこんな悲しいことがあろうか、けれども、こんなということではない、それこそ、これ程の信心がいつの間に身についとったと思われるであろう程しの心があって、「そげんあんたがごつ有難か有難かと言うてから」と言うて親戚の方達から注意された程である。
本当におかげを頂いて有難い、死んだけん有難いと言うよるとじゃない、こういう時に、こういう心で受けられるということが、何と有難いことかと言うのであるけれども、それがお悔やみに来た人達に通じない。親戚の方が注意される程しにあったげなということをそのつる子さん話しました。
本当に、霜に雪に、叩かれたり打たれたりしながらでも、もうそこに風情がある。色さえ変えておらないその松のように、毅然ととした信心を続けられるということは、何と有難いことだろうかと。「親先生、私が思いよるとはそれでございます。こういう有難い信心を、どうして早うわからせてもらわんじゃっただろうか」とこういう訳です。
これはどういうことかと言うと、信心が有難い、信心がわかって行きよる、信心が身に付いて行きよるということになるのです。これ程そうに参ることは参ったばってん、とうとうおかげ頂きらんじゃったと。只おかげが有難いのであって、信心が有難いのではないのですから、これを四十二節が必要になって来るのである。
けれども、合楽で皆さん、日々信心させて頂いている方々は、そこのところ、これ程信心しとるのにというのでなくて、これ程に信心がいつの間にか、このように、それはことがあるときだけでなく、日々ね、様々な日常生活の中で、様々なる環境の中にあって、これをこのような風に思われたり、考えられたりするということは、何と有難いことであろうかという信心が湧いてくる。心構えが湧いてくる。その信心が、いよいよ次の一瞬をまた一心にして行くわけです。限りがない。ほんなごてこのまま行くなら有難い、有難い。もうあの世も大丈夫という、そんな死生感というかね、死生の安心までやられて来るようになってくる。この喜び、この心を以てすれば、あの世も大丈夫だぞというような安心の心が生まれてくるのです。
まあこれは信心のいよいよ終局のものと申しますかね、大死一番と言われるように、私どもが本当に大往生遂げられるように、遂げさせて頂けれる、そこに暗さも感じられなければ、心の中に只有難い有難いという、お礼の心であの世に行けれるという心を頂かせて頂くために、信心はあるというてもよいのです。ですから、あの世でそのようなおかげが頂けれる程しのおかげが頂けれる稽古に、私どもが、この世に出て来ておると言うてもよいのです。
だから、よく生き甲斐と言われますけれども、生き甲斐、本当の意味での生き甲斐はそこなんです。あの世に有難い信心を持って行けれる信心を、の徳を持って行けれるために、私どもはこの世に生を享けておる。この世には仕事をしに来ているとか、この世にはこういう御用をしに来ているとかいうのではなくて、どういうことからでもよい、信心にな
らせて頂いて、その信心の徳を受けていくために、私どもこの世に生を享けたんだ、それが本当言うなら事実なのです。
そういう話をさせて頂いている時に、日田の綾部さんと信者控室の、で、「だからもうとにかくこの世にある間に、本気で生きておる間に、魂を清めておかねばいけませんよ綾部さん」と言うた途端に、あの信者控室が、パンというような弾くようなおいさみでしたからね。
天地の親神様が、「そうなんだよ」と。この世には本当に本心の玉を磨きに来とる、魂を清めにきておる。魂を清めることによって人間は喜びが与えられるのであり、自信が与えられるのであるということになってくるのですから、「これ程信心するのにどうしてこのようなことが」というようなことが、これから先にも出ないことになってこなければならんのです。
けど、只信心がおかげの対照になりますところから、おかげ、自分の思うようにならないと、それを神様に願ったけれども、お願いしたけれどというようなことになって、もう信心ではなく、おかげが有難いという、信心が有難いというのでなくて、おかげが有難いという、言わば信心とも言えないくらいです、なって来るです。もう本当に信心ちゃ有難い、今度三日間でしたかね、風邪で朝の御祈念だけにして寝ませて頂きました。とにかく御粗末御無礼でございましたけれども。
昨日も、本当に私は有難いと思いました。昨日はここを下ってから、私と高橋さんと久富繁雄さんと御飯にしようとしよったら、正義さんが見えました。私がお話する時に、こうやって口を抑えて話すもんじゃけん、先生があげんしなさるとがもう見ちゃおれん、聞いちゃおられない。痛そうにして話をしよんなさるから、それでちょいと歯医者で治療させて頂いたらよかろうと、昨日もお届けがあったけれども、私が「いえ、一時ばかりこれで辛抱する」と申しましたが、昨日もまたそのことをお届けされました。
けれども、私が行くとも行かんとも言わずに、「まあ御飯、食物が食べにくいけれども、さらさら茶漬けを流し込むようにして頂ければ、頂けるけんで、まあ風邪がすっきりすれば口の方もすっきりしてくるでしょう」と言うて言うておりましたら、よもや見えると思いましたら、昨日またお見えになって、「親先生、歯医者に行きましょう」ともう二の句もつかれん。「いやもう私は行かんばの」とも言えませんから、そのお食事済ませて一寸行かせて頂きました。
もう本当に、何でも専門でなからなければいけませんと思いました。もう口の中が綺麗にお掃除が出来、私がこの入歯はもう全然取りませんでした、下の方だけは。ですから、それを綺麗に掃除して頂きました。それで帰る時はものが言われるようになりました。
そしてやっぱり当たっていたわけですね。だから歯は変わらないけれども、こちらの歯肉(はじし)の方が変わっていくわけです。ですから、さわっておるのか、炎症しているのが痛く、のだったらしいですから、もう削ってもろうただけで、当たらないからもう御飯も普通に頂けますし、お話ししても痛くございませんし、冷たいもの飲んでもしみない
というようなおかげ頂いて、私は信心とは真心と書くが、私は真心と思うですね。
信心とは先生が痛そうにしていなさるけん、ほんなこと見られんと思うから言うたばってん、「行かん」と言いなさったけんで、と言うて昨日きりだったら、また今日もここを抑えながら話さなければならんかったでしょう。それでもやっぱり、またその御届けがあったのです。それで私が行くと言はなかったけれども、やっぱりまたこう押して行き、押して行き、またこう押して行くところに、私がそれはもう正義さんの真心に対して動かんならんという。
そしたら私自身がおかげ頂いただけではない、丁度私ども帰って参りましたら、タクシーがこう入って来ました。どこのタクシーじゃろかと思いよったら、中から、久富先生が髪をこう生やしてから、こうやせてから降りて来よんなさいます。あっちもやっぱり、流感から、私より何日か早くから、そしてあちらは御飯が頂けなかったそうなから、こう痩せてある。ところが、今朝から段々のおかげを頂いて、家内も具合が悪く、家内中も今寝込んどります。だから今日は、どんなことがあったっちゃ、今日は一寸お礼御届けに出らにゃいけんというて、タクシー呼んで貰って、お礼お届けに出て来ましたと言う。
それで、お茶ども上げさせて頂きまして、「なら久富先生、帰りには私が送らせて頂こう」と言うて、久富先生、正義さんが送っていきました。私一人のおかげではない、久富先生一人のおかげではない。これは正義先生のおかげにもつながることなのだ。
あの真心というのはね、真心でどこげんしたばってんというのことじゃなか。それじゃいけん、まだ真心が足りんのだと思うてここのところ、よか返事をしなさらんじゃったのは、これはまだ自分の思いが足りなかったのだと。また翌日に御届けがあった。けれどもまだよか返事がなかったから、そしたら今度は、わざわざそのことの為に出掛けて来た。
私は一心に真心、信心していくことはね、神様に向かうだけではないです。そういうことだと思うのです。そこからね、こういうことが出来るようになったということ。ね、何と有難いことであろうかと、自分で自分の心に感謝する。いわゆる自分で自分の心を拝みたいごとなって出来るというような心が、自ずと生れて来ると思う。信心が身に血になって行くのである。そういうおかげを頂いて頂きたい。
だからここは四十二節の御理解は、頂かんで良いような御理解でしたね、今日は。これ程信心するのにという心が生まれた時には、もう信心ではないのです。
あなたはおかげおかげを只求めて来よんなさる。だけでおいでなるとちゃろうもん、信心とはどこまでも信心であって、神様を信じて疑わない。どこまでも自分の真心を、これでもかこれでもかと押し進めていくのである。そして、自分の心に真心、神心をいよいよ高めて行こうというのが信心である。
だから、これ程の信心をするのではなくて、これ程のものがいつの間に自分の心に頂けて来るようになったであろうかと、日々自分の心を思うて見ては、信心とは有難いなあということになって来るのです。その信心が持ち続けられて行く努力が自ずと出来てくる。
それが一身の、一心の信心だと思うのです。
どうぞ。